「ウェブで政治を動かす!」読後

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくです。


 さて、今年の最初のブログの更新は、津田大介氏の「ウェブで政治を動かす!」を読んでの感想からはじめたいと思う。

 公共政策と特に関係はない学生や会社員、主婦、退職者などの方々には「動け!」という、とても明解なメッセージで満ちている本書は、その豊富な実例を分かりやすく紡げているという意味で、間違いなく良書である。


 だが、筆者にとって、この本は重い。とても重い。


 まず、筆者は20年近くも公共政策に仕事として関わってきた人間である。その意味で、本書が筆者に対して意味するところは、多分、これを読んでいる多くの人に対するそれとは少し違う。なぜなら、津田さんはあまり文字を割いて表現してはいないが、政策決定に於ける国会議員のあり方の背後には、国会議員と官僚組織の役割分担の問題が横たわっているからである。


 官僚機構のオープン化には、自分としても想いがなくはない。
 最初の機会は、まだ係長の頃、通商産業省(当時)に誕生した「政策評価広報課」の創設に自分も非公式ながらアイデア出しに関わったことだ。政策の失敗を如何に是正していくかという意味で起きた「政策評価」運動だったが、これがどうして「広報課」に託され「政策評価広報課」となったのか、変だと思わないか?だいたい、組織の名前としては余りにも据わりがよくないしw
 この名前には理由というか、思想があって、それは「政府機関は政策に関する情報発信を主体的になすべきであり、それに対する外部の反応が政策評価になる」という考えだった。「外へ情報を発信すること」=広報と、「外の情報を吸うこと」=政策評価は、呼吸のように一体だ、といってもよい。ここにおいて能動的な情報戦略が目指されたことは記憶に止めておくべきで、それゆえ、従来の「広報課」の仕事であった記者クラブ対応は「報道室*1」に格下げされたほどだ。
 次の機会は、Twitterをしていた2010年に@Unofficial_meti_botというアカウントを開設したことだ。これは、経済産業省の公式HPから吐き出されるRSSをもとに110字に成型し、全文が読めるURLを付けて誘導するごく単純なwebアプリで、筆者の性格らしく「にょ」という語尾を付けて配信されていた*2
 3.11の後ほどなく、現在の公式アカウント@meti_NIPPONが誕生した。それと共に、公式アカウントが開設されたことをもって、@Unofficial_meti_botは呟きを止めたのだが、実は、@Unofficial_meti_botは単に停止したのではない。@meti_NIPPONの極初期には、わずか1日かそこらだが、この@Unofficial_meti_botのエンジンが流用されていた時期がある。@Unofficial_meti_botは、全くの非公式アカウントながら、瞬間であれ実質的に公式アカウントになり、そして全ての使命を終えたという、とても幸せなアカウントになった。


 だが、こうした中で、官僚機構というのはオープンであることに大きな忌避感をもった組織であることもヒシヒシと感じていた。
 「政策評価広報課」が実際に立ち上がったのは筆者が中国に赴任した後のことだったが、帰国して「政策評価審議会」なるものが設置されていたことには絶句した。専門性をもって任ずる行政の仕事の評価は専門家に任せるべきだという説明だったが、その評価される側の行政が任じた専門家による行政評価というものについての評価は皆さんに委ねたい。ただ一つ言えることは、広報と政策評価は表裏一体との思想は、現実の組織運営には反映されることはなかったようだ、ということである。
 @meti_NIPPONの開設にあたっても、内部的には抵抗は小さくなかった。実現できたのは、当時の担当者の見識と、特に@open_metiを運営していた情報プロジェクト室の面々の情熱があったからである。
 

 こうした経験の中で、筆者が一つ確信していることがある。官僚機構は、問題の顕在化を極度に恐れるのは当然だが、何より、官僚機構に対する評価を外部に任せることを恐れる。どう思われるかが問題ではない。それが可視化されて、自分たちの目の前に現れることを恐れる。
 だが、国民と政治家と官僚組織の関係は一続きの方程式であり、一つが動けば全体の調整が起きる。官僚機構のオープン化は程度や手法の問題こそあれ*3、進めなければならない問題だろう。この難しい問題をあえてやれ、という津田さんの声は重くのしかかる。
 津田さんは、国民のアクションの直接の対象は国会議員を選ぶことという民主主義の側面を重視するので多くは語らないが、確実に、この本によって、官僚機構のオープン化も求めているのだと思うからだ。


 もう一つは、これまた自分の仕事に関することである。
 筆者は、今、ニコニコ動画の中でニュースや番組作りに関わっている。今回、ネット党首討論を始め、様々な形で選挙という政治プロセスに関わらせていただいているが、公職選挙法の問題は自分の仕事についても大きく影響を与えている。
 今回の総選挙でネット選挙解禁問題が喫緊の課題として浮かび上がったが、別に自民党みんなの党に言われなくても自分たちで言い出さねばならないと思っていたところである。政見放送の動画配信さえさせてもらえない現状は、ネットによる国民と候補者の間の新しいチャネルを開拓するとかいう新次元の問題ではなく、「政権放送」という映像による候補者情報と国民の公正な接触機会をより多くの人に提供するという古典的な意味においてすら適切ではないからだ。
 ただ、ネットと選挙の問題はもっと有機的なものに発展させられる可能性があり、それゆえ具体的にどうやってネット選挙を解禁していくかというと、いろいろ考えなくてはならないところが多い。現実論として、限定解除ではなく、公示期間から投票日までにネットをつかった意思表明を原則としてやっていいという前提の下、逆に何をやってはいけないかだけを決めるべきだと思うが、それを精査する検討を即座に開始しなくてはならないだろう。ネット上の「メディア」も、我がこととして、その検討には全面的に協力するべきだ、と筆者は考える。


 ただ、政府機関のオープン化も、ネット選挙の解禁もそうだが、単に自分がそうあるべきだと思い、提案するだけではかわり得ない。世耕議員が頑張るだけでは、岸本周平議員が頑張るだけでは、藤末健三議員が頑張るだけでは変わらないのと同様である。ことこういう問題について「中の人」の力は限定的なのだ。

 だから、本書を読んだ方は、是非、官僚機構のオープン化を求める声を上げていただきたい。ネット選挙の解禁を求める声を上げていただきたい。恐らく、その設計の矗一や、検討過程の一つ一つで、皆さんの声一つ一つを拾うことはないかもしれない。それは終章で橋本岳さんの意見や、そもそも一つの系の設計そのものが集団作業に馴染まないといった話で分かってもらえると思う。だが、それでも、状況は大きく改善するのではないかと思う。
 だから、まず声をあげてもらいたい。


 と思う。


 こういうことを書く気にさせる津田さんは本当にすごい人だよな。



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*1:報道機関のお世話しかしてないだろう?という嫌みでもある。

*2:余談だが、3.11で自分がメンテを行う余裕もない中、福島第一原発が危機に陥っていた時に「にょ」の文体で一日程度ではあるが呟きを続けてしまった。これには、設置者として関係者の方々に深くお詫びしたい。

*3:筆者は行政組織の情報はあらゆるものが全てオープンでなければならないと主張する者ではない。国家機密と呼ぶべきものは存在すると思うし。そこらへんは、ここでオープン化は「程度」を問うべきだと言っていることに込めているつもりである。なお、この点については津田さんも本書の中で指摘している。