「ふぁんろ〜ど」=「ファンロード」の休刊によせて。

 「ふぁんろ〜ど」が休刊するというニュースを先週聞いた。
 この「ふぁんろ〜ど」*1には、思い入れがある。そのことをここで書いておこうと思う。
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 まだ天秤が中学生であった頃、天秤はハーベストという学外のコンピュータサークルに入っていた。そこにお話があって、天秤はゴジラ、Newゴジラというゲームの制作に関わった*2のだが、その作業場所が、なんと、ふぁんろ〜どを編集していた銀英社だった。
 毎晩、夜遅くまで銀英社の応接スペースに座り込んで、デバッグの日々*3。そんなことをしていると、当然スタッフや作家の人達とも仲良しになる。
 そうこうするうちに、ゲームは完成し、中学生/高校生としてはなかなかまとまったお金が手に入った。そしてイニシャルビスケットのKさんや、ケッダーマンさんに促されて参加したのが、台湾ゲゲボツアー。
 後にはゲゲボツアーは読者も参加できるようになったが、当時はスタッフだけの特別ツアーだった頃の話だ。天秤はAppleIIのユーザーだったので、台湾に氾濫している海賊版のハードやソフトの担当ということになった。その模様は当時のふぁんろ〜どに掲載され、ついたペンネームあだ名が「キララ境」*4
 その後、一緒に台湾に行った人達、湖東えむさん、猫田猫美さん他のみなさんとコミケで打上げ同人誌をだしたりした。ま、当時は中学生/高校生だったんで、売上がどうのとかぜんぜん気にしなかったけど。
 本題に戻ろう。
 その台湾ゲゲボツアーで天秤は海賊版の魅力にとりつかれた。それから1年に一度は台湾(又は香港)に赴き、海賊版を漁る、漁る。浪人時代など、入試から発表までの間、「日本にいたら試験の結果ばかり心配してしまう」というそれっぽい理屈を付けて、やっぱり台湾に出国。入試準備と並行してビザの準備してるんだけど、それってそんなに試験結果を気にするようなヤツのすることか?(よく合格ったな)。そんな台湾通いは、大学を出るくらいまで続いた。
 それと並行して、日本を雛形として確立していくこの時期のアジアの大衆文化にどっぷり浸かることになる。よく見る番組はアジアNビート*5、愛読書はMacBros.*6、好きなタレントは伊能静や少女隊*7(祝!ビビアン再来日)。香港の夢劇院とかも好きだったなぁ。まぁ、このさい固有名詞はどうでもよい。しかし、その中にある文化的影響のカスケード構造やそこから生じる国際政治上の影響力*8についての考え方は、すでに当時から固まっていた。
 で、お気づきかもしれないが、こうして蓄積した情報や考え方は、経済産業省メディア・コンテンツ課時代にコンテンツ産業の国際展開政策の下敷きになっている。もし担当者として当時の天秤がこの分野に少しでも創造的な役割を果たせたとしたら、それは台湾ゲゲボツアーのおかげだし、ひいてはふぁんろ〜どのおかげなのである。
 そのふぁんろ〜どが休刊する。感慨深い。
 実は、側聞するところではふぁんろ〜どは一度休刊し、復活するというドラマを演じたことがあるそうだが、今回も復活劇はあるだろうか?なんとかしてふぁんろ〜どには生き残って欲しい。コミケがマニアだけの知る人ぞ知るイベントではなくなり、コスプレが市民権を得た現代だからこそ、その草創期を支えたふぁんろ〜どに立ち上がって欲しい、と思うのである。




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*1:なんか今では「ファンロード」と書くらしいが、天秤が馴染んだ名前にしたいので、とりあえず本文中ではこれで統一する。

*2:ゴジラ」ではプログラムを、「Newゴジラ」ではゲームデザインを担当した。「ゴジラ」はBASICで書けという指示があって、しかもテープベースで、おまけに画像入力ソフトまで開発した上でという状態だったので、とてもじゃないがまともなゲームにはならなかった。言い訳だけど。今度は「Newゴジラ」では、RPG的システムでアドベンチャーゲームをやるようにした(複数のキャラクターを操りながら、シナリオを解いていくので、「マルチプレイアドベンチャー」と称した)のだが、プログラマがタコで、データオリエンテッドなプログラムができないと仰るので、シナリオの圧縮ができずに、ずいぶんスカスカのシナリオにせざるを得なかった。

*3:ま、時としてなぜか4の倍数の人数で構成される開発チームがそのまま雀荘に流れ込んで、終電まで打ち興じるのだが、そこらへんはご愛嬌である。

*4:この「キララ」というのは、当時マニアに絶大な人気を誇った原田知世嬢が宣伝しまくっていたキリンの清涼飲料水「Kilala」に由来する。先後関係はやや忘れたが、天秤には84年の世界SF大会=LACon2に参加した際、一日一本Kilalaが飲めるように日本から10本近くを持ち込んだという前科がある。らしい。

*5:アジアワイドなオーディション番組「アジアバグーズ」と並び、アジア音楽番組の走りである。ただ、こちらはアジア音楽ネタのトーク番組。ちなみに、ユースケ・サンタマリアが初めてピンで登場したテレビ番組としても知られる。

*6:本来はMacintosh専門誌なのだが、なぜかアジアネタ雑誌に大きく旋回していった、なぞのコンピュータ&大衆文化雑誌。

*7:もちろん、日本の「少女隊」ではない。ちゃんと二枚ともCD持ってるぞ!

*8:これは当時の国際統合論におけるトランスナショナリズムの議論を下敷きにしたものである。